水城(みずき)  福岡県太宰府市水城1丁目

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水城W
日本は、663年、一度滅びた百済故地へ、百済復興軍への救援軍を送った。4万人規模ですから、当時の人口から比較すると、大軍勢です。同時に大和朝廷に人質として送られていた百済王子を帰国させた。しかし、唐新羅連合軍に大敗した(白村江の戦いW)。情報不足なのか敵の計略にはまったのか、唐の軍船に大敗しています。この戦い以降、朝鮮半島南部の権益(いわゆる旧任那日本府W)を完全に失ったようです。
16世紀の朝鮮出兵時にも海戦で敗れています。
その結果、664年博多から太宰府への侵攻を予想して大宰府の防御前線として築かれたと日本書紀にあります。中大兄皇子を中心として日本側も焦ったのか、都を近江へ移し、大野城はじめ西日本各地に大規模な山城も築いているので、当時の庶民も動員されて大変だったでしょうね。元寇Wでは、実際に元軍として、その実、兵士の大部分は、高麗Wと南宋遺臣軍が攻めてきているので、戦略的にこの判断は正しかったのでしょう。

水城には2カ所の門があり、東門の辺りに112号線が走り、駐車場があります。
東に見晴らせる展望台があります。